CDグルメ:祐の試聴記
   No.99  [2002. 5.1 掲載]



 朝日新聞の4月28日の読者欄で「サッカーここが嫌い」という企
画があった。5人の方の意見が掲載されていて、それぞれになるほ
どと思った。好き嫌いはとうぜんあっていいし、嫌いな人にとって
は目に余る昨今だとは思う。しかしサッカー好きとロック好きはど
うも共通しているような気がしていて、自身かなりサッカー病にな
っている鈴木裕としてはひとつだけ言わせてもらいたいことがある。
それは“たかがスポーツのひとつに過ぎないサッカーでそんなに
騒ぐなよ”という意見についてである。
 たしかに騒ぎすぎかもしれない。しかしサッカーはもはや“たか
がスポーツのひとつ”ではない。それは好き嫌いの問題じゃないと
思うのだ。
 オリンピックや野球もたしかにナショナリズムを煽る。しかしサッ
カーには到底及ばない。あるいは四輪のF1やオートバイのロー
ドレースなど、たぶん一般的な日本人には理解できないほどヨーロッ
パでは大事な生活習慣(文化)でありアートであり、歴史だ。し
かしそのF1やロードレースでさえもサッカーにはかなわない。そ
れはもはや社会現象なのだ。
 サッカーはヨーロッパだけでなく、今やアフリカと南アメリカの
3つの主要な地域を持ち、そこにアジアが絡んで来ている、という
状況である。アメリカ合衆国があまり強くない、というのも実はポ
イントだし、経済状況が悪くても勝ち進む可能性があるという点で
も、たとえばオリンピックのいろいろな種目と比べても興味深い点
である。つまり、サッカーはたしかにスポーツのひとつではあるが、
今やそれぞれの国の血の濃さや血の多様性や精神力の強靱さやず
るがしこさや組織力や大人の本当の頭の良さや骨格の頑丈さや足の
長さやデータ分析能力や生きる希望の強さなど、ものすごく複雑な
要素をはらんだ(他に言いようがないからこの言葉を使わざるを得
ないが)血を流さない戦争に近いのだ。ある意味、ワールドカップ
をやるために各国のリーグがあると言ったら言い過ぎかもしれない
が、本当に本気のマジの言い訳なしの、そんな民族どうしの戦いは
戦争以外、サッカーのワールドカップしかない。そして実際の戦争
ではテレビカメラのないところで汚いことが行われ殺戮が繰り返さ
れるが、サッカーはかなりフェアな戦いであり、多くの国でテレビ
中継されている。たしかにサッカーのおかげで起きた動乱もあるだ
ろうが、その存在ゆえに始まらなかった内乱や戦争もあると僕は思っ
ている。
 この事実は知ってほしい。その上での好き嫌いは個人の自由です
(おー、サッカーについては頭に血が上ってこういう文章になって
しまう。いや実は対コスタリカ戦も、対スロバキア戦も行ってまい
りました。国際マッチはやはり特別なものがあるですよ)。







491  モービー『18』
 (V2 V2CP−123−124 ¥2520)
 前作『PLAY』が全世界で1000万枚を売ったモービー。今
回は 150曲から 200曲くらい作った中から18曲を選んでアルバムと
して完成させたという。それでタイトルが『18』。
 いいアルバムなのだ。胸が震え、締めつけられ、苦しくなり明暗
が混じりあいながら進んでいく、そんな素晴らしい流れを持った1
枚だ。アルバムが進むに連れて思うことを感覚的に記してみよう。
tk.1はある意味何げなく無防備に始まる。やや薄曇りの感じ。ち
ょっと光が差して明るくなってきたかな、というところでtk.2。少
しエモーショナルで、高揚した何かが始まりそう。しかし高揚しき
らずtk.3。途中から雲が出てきて、すこしだけペシミスティックな
感じが入ってくる。そしてtk.4。チェロのソロと女性ヴォーカルだ
けの何かを予期させるような始まり方。近くに良くないことが近づ
いているような、しかし客観的な表現。そして宇宙ロケットの窓か
ら離れていく青い地球を見ているような、せつなくノスタルジック
なtk.5。哀しみがリアルになってくるtk.6。場面転換して、淡々と
した感じのするtk.7。川の流れを見ているような、使っている音(
旋法) から東洋的な諦観を感じるtk.8。困難を乗り越えていく意思
を感じるtk.9。唐突にやや温度感の高いtk.10 。tk.2のリプライズ
のような感じもあるtk.11 は美しさと哀しさが交錯する感覚。ちな
みにこの曲はモービーの誕生日、9月11日にちなんでいる。そう、
同時多発テロ以前に作り、その前後で曲の意味が変わっているのだ。
この曲の後、微妙に長いトラック・ブランクがあり、幻想的なtk
.12 。この曲もtk.5と同じように胸を締めつけられるようなせつな
さのある曲だ。そして沈没したままのtk.13 。はっきりと哀しいtk
.14 。その気分を引きずったまま、感情はより複雑になり、途中か
ら少し潤いの出てくるtk.15 。暗さと明るさの交錯するインタール
ード的なtk.16 。やや浮いてしまっている感じもする哀しみを振り
払うようなtk.17 はゴスペル的語法を使う。そして「I'M NOT WORR
IED AT ALL」というタイトルの割りには、雲は晴れていかないラス
ト曲、tk.18 。この終わり方もすごくいい。
サウンド的にはハウスのビートが基本で、アンビエント系が入っ
たり、クラシックがあったり、18曲中、15曲が歌入りで、モービー
の他、ソウルフルな女性が複数歌っている。行き詰まったところで
ソウルのサウンドが出てくるところが、ニール・ヤングの新しいア
ルバムにおけるブッカーT&MG’Sの存在を思い出させて興味深
い。今の世の中に対する感覚、あるいはもっと言って世界観を共有
できる人には心によくフィットする1枚だと思う。繊細な感覚を微
妙な音の表現でやっているので、再生する音は特に大事だ。









492  メデスキ、マーティン&ウッド『アンインヴィジブル』
 (東芝EMI TOCP−65953 ¥2548)
 いやあもう、ほんとに困るね。こういう音楽は紹介するのが難し
い。と降参したところでライナー・ノーツの佐藤英輔さんの文章の
書き出しを引用させてもらおう。「ジャム・バンドと呼ばれる連中
のなかでもっとも腕がたち、もっとも即興度が高く、もっともサイ
ケで、諧謔の精神を持っている……。現代ジャズ・バンドのなかで
破格にサバけていて、バカヤローの精神を持っていて、とんでもな
く現代感覚もあり、かっとんでいる……。そんな前代未聞、唯一無
二の存在であるメデスキ、マーティン&ウッドのブルーノート第4
弾となるオリジナル・アルバムである」 
 と、佐藤さんにまとめていただいたところで(いやもう、ほんと
にこの通りなんですけど、これを読んだだけでは何のことかわから
ないかもしれないので)思いっきり平たく、地を這うように紹介し
ましょう。
 簡潔に言うとクラブのりのジャズ。使っている楽器の音としては
メデスキの弾くハモンドオルガンやローズ。マーティンのやってい
るドラムの緻密なシンバル・ワークや重みのあるキック。ウッドの
弾くエレクトリックとアコースティックのベースがまず基本にある。
そしてそこにターンテーブルを使ったスクラッチプレイやポエト
リー・リーディングやちょっとしたソプラノの声の断片など、さま
ざまな音がコラージュされている。そして、ジャム・バンドと言っ
ても延々としてプレイしているのではなく曲は全体に短い。tk.15
がボーナストラックで、11分強のライヴ演奏なのだけれど、そこま
での14曲で50分26秒のタイムという点にも出ている。フィッシュが
アルバムを作る時に、ライヴとはまた別の良さを作り上げようとし
て、そのプロセスにかなり習熟して来ているわけだが、そのまった
く別のベクトルのものがここにある。つまり、よく編集の効いたセ
ンスのいいドキュメンタリー映像で、そこにCGを使ってコラージ
ュを施して現実を越えたアヴァンギャルドな感じを出せている。そ
んな(たとえば坂本龍一のやった『ライフ』の映像)感じと言って
いいと思う。ちなみにその編集にあたる作業をやっているのが、プ
ロデューサーのスコッティ・ハード(別名スコット・ハーディング)
だ。そして、ひとつひとつの音色感や、音像の立て方、奥行きな
ど、オーディオ的快感のある素晴らしいものであることも特筆して
おきたい。これは相当いろいろなものを消化し、よく音のことが分
かっていないと作れないだろう。そして、アルバムが進むにつれ、
音楽がだんだんとタダれていくところも僕はすごくいいと思う。胃
が自分自身を消化しだしてしまっていると言うか、粘膜が溶けだす
ように淫蕩なのだ。







493  サリフ・ケイタ『モフー』
 (ユニバーサル UCCM−1035 ¥2548)
 アフリカのマリ共和国のアーティスト。王位継承者として生まれ
たが、肌に色の付かない病気や弱視のため一族から追放されるよう
な待遇を受けたという。最近、また王位継承の話が出ていると聞い
た。僕もライヴに行ったことがあるが、ライヴが進むにつれだんだ
んヤバくなって来て自分の人格が持っていかれそうになった体験を
した。そこで歌っているサリフに帰依したくなるような感覚なのだ。
特別なアーティストと言うべきだろう。
 その6枚目、3年ぶりのアルバム。今まではキーボードを始め、
EギターやEベースを多用して、歌もものすごく押し出しの強いエ
ネルギッシュな声だったが、楽器はアコースティック主体。声にも
やさしさが増しているようにも思った。衰えではなく成熟だろう。
アコースティック・ギターの弾き語りの曲もあって、民族的な哀し
さと、個人的な体験をオーヴァラップさせたような深い歌を歌って
いる。オリジナル歌詞が入手できなかったそうで、歌詞・対訳はつ
いていないが、じっくりと聴いていけば豊饒なイメージが伝わって
くる1枚だ。録音は標準的なレベルだが、それがゆえにサリフ・ケ
イタのボーカルの驚異的なところが却ってわかりやすいかもしれな
い。一生聴いていきたいアーティストだ。







494  パティ・スミス『ランド 1975〜2002』
(BMGファンハウス BVCA−27010/1 ¥3500)
 2枚組のいわゆるベスト盤。1枚目は、今までの8枚のアルバム
から人気のある曲が選ばれている。パティ・スミスのライナー・ノ
ーツの言葉を引用すれば「あなたがたがわたしのために選んでくれ
た曲」。プリンスの「ホエン・ダヴス・クライ」のカバーが唯一の
新曲。オリジナル曲のような情念のこもったカバーだ。
 そして2枚目は「わたしがあなたがたのために選んだ曲」(同)。
くわしく書くとtk.1から3 が1974〜5 年の未発表曲やデモ。tk.
4 が1978年のライヴ・テイク。
そしてtk.5〜6 が1996年の、アルバム『ゴーン・アゲイン』で復
活した時のライヴ・テイク。
さらにtk.7〜11が2001年の世界各地でのライヴから。tk.12 が未
発表の新曲。tk.13 は2002年元旦の、ニューヨークでの「セント・
マークス・ポエトリー・プロジェクト」というライヴでの詩の朗読。
そしてその後に隠しトラックとしてピアノ弾き語りのライヴ曲が
収録されている。これは音質から言うと古い音源のようだ。
この2枚組をリリースされることになったいきさつを推測するに
、去年の各地でのライヴ・パフォーマンスが素晴らしかったため、
今までパティ・スミスを知らなかった新しいファンのためにライヴ
盤を出そうというオファーがレコード会社からあったのではないか。
そしてそれに対しての誠実な回答ということができる。たしかに
1枚目はその雰囲気だ(既成のアルバムからの楽曲の音がリマスタ
リングによって良くなっている。マスタリングはニューヨーク、S
terling SoundのGreg Calbi。1996年にま
とめて出された時よりもかなり音質は向上している)。ただ、2枚
目はコアなファン向けという感じがある。
 僕の考えを言わせてもらうと、パティ・スミスを聴きはじめるに
は3通りあると思う。正統的には1枚目の『ホーセズ』の「グロリ
ア」から。やっぱり、これでしょ。
 2番目は僕自身がそうだったように1996年の本格的な復活作『ゴ
ーン・アゲイン』から。これは特にニール・ヤング、パール・ジャ
ム、カート・コバーンとの関連。そして2001年フジ・ロック・フェ
スでの圧倒的なライヴの意味の出発点になっていると僕は思ってい
るので。
 3番目の推薦はとりあえず一番新しいアルバムからく聴きはじめ
るという、つまり現状では『ガン・ホー』だが、この“ベスト盤”
もある意味、ドキュメント的な新作というようにも捉えられるので
この『ランド』を推薦ずべきだと思う。
 ただし『ランド』の2枚目には歌詞・対訳はないし、このベスト
盤自体、ほとんどまったく解説の類いは付属していないので(ただ
し、楽曲、ブックレットに掲載されている写真についてのクレジッ
トは正確だ)そういう解説類を重視する人には薦められないかもし
れない。ただし、曲や演奏自体はまことに魅力的だ。
 パティ・スミス。サッカーについて書いているのといっしょで、
頭に血が上って、どうも言葉が出てこない。








495  マレイ・ペライア(pf)
  『ショパン 練習曲 作品10&作品25』
 (ソニー SICC−56 ¥2520)
 いわゆるショパンのふたつのエチュードだ。おびただしいレコー
ドがあるし、ピアノ曲について、あるいはショパンについて、僕が
何かを言う専門的な知識も資格もないとは思うのだが、いい演奏で
いい音だったので紹介させてもらいましょう。
 この演奏の良さというは、内容豊富と言うか密度高いと言うか、
耳も頭も心も気持ちいい、という言い方ができると思う。
 まず華麗できらびやかで美しいという部分のショパン像というの
がある。メロディも、いわゆるピアノ的な技巧においても、美しい
作曲家だ。その部分での、つまり耳が気持ちいい演奏である。また
強打するところなども、ものすごい音がしている。
 そして、頭。楽曲の構造や各声部の弾き分け、それぞれの12曲で
構成されるひとつの流れのある音楽として、それぞれの曲の役割と
かピークの作り方。こういうものが大変上手である。
 そして、心。口はばったい言い方だが、ショパンに対する、音楽
に対する愛のある演奏なのだ。聴いていて「ああ、うまいようまい。
すごいねぇ、素晴らしいねぇ、よかったよかった。で、それがど
うしたの?」というところがぜんぜんない。ペライアの人柄やキャ
リアを僕は知らないが、人生に対して、そして音楽に対して真摯な
人なんだと思う。
 録音もいい。いまさら再生レンジが広いとか、SN感が高いとか
は当たり前だが、なによりピアノの実在感が大変高い録音である。
 結果として、ショパンを聴いていて濃密なリスニング・タイムを
経験できる、いい演奏なのだ。良かったら聴いてみてください。



〔オーディオについて バッテリー〕

 雑誌『STEREO』5月号に書いたDACの記事。実は取材で
はもっと話があって、今いろいろと考えているところ。そして、自
分の車のカーオーディオ。これまた、ヤケになったり気を持ち直し
たりして紆余曲折の最中なのだけれど、いよいよヘッドユニットそ
の他を購入して新しく作りはじめたいなぁ、と強く思っている。た
だ、思うようにならないことがあってグジグジなのは自分でも嫌に
なっちまうね。それにデジタル領域で音をいじる、というところが
ホームの話と重複して、考えあぐねている日にゃあ、始まるものも
始まらないでしょう。

 そこでバッテリーを買ってきました。ホームでも車でも電源は大
事。とりあえずここを攻めよう、という魂胆です。カーオーディオ
の基本のひとつ、バッテリー。
 以前のモービル・エレクトロニクス・ショーで僕が取材を担当し
たブースのひとつが、オデッセイというバッテリーを入れる輸入代
理店だった。そこで聴き比べのセットがあって、バッテリーで駆動
されているオーディオ(スピーカーはディナウディオのホーム用だ
った)を、オデッセイのものと、それ以外の(見た目にはどのブラ
ン ドかわからないが、隠してある箱の一部をぐっと指で広げると何で
あるか一目瞭然の)バッテリーを切り換えられるようになっている
も ので聞かせてもらった。幕張メッセの、割合うるさい中でもその差
は歴然とするぐらい違ってオデッセイの方が良かったのだ。
 ではそのオデッセイのバッテリーはどこが凄かったか。ドライタ
イプであるという点は今やいろいろと出てきているし、その比較用
のブラインド・バッテリーもドライタイプだった。湿式でなくドラ
イタイプのバッテリーは内部インピーダンスが低く、エンジン始動
用としてコールド・クランキングの性能が高い。また、放電してし
まっても300回くらい復活する、という点でも湿式とは比較にな
らない耐久性を持っている。そしてこのドライバッテリーのパフォ
ーマンスは同時にアンプに対しての電流供給という意味でかなり有
利だ。特に低音を出す場合に十分な電流を供給できるため、まるで
アンプの出力を倍にしたくらいの駆動力を与えることができる。

 そして、その比較試聴の時のオデッセイのバッテリー。実は小型
のものを3つ並列につないであるタイプのものだったのだ。値段は
相当高かったが、音質的にはその価値を感じた。その時「いつか、
このタイプで行こう」と幼なごころに(いや、もう十分におっさん
でしたが)思ったのだ。

 で、今回オデッセイを購入したかと言うと違いますね。たしかそ
れって、15万円くらいするんじゃなかったかな。まあ15万円で
アンプの出力が倍になると思えば高くはないんだろうけど、別の方法
を考えた。
 要するにこの話のキモは、ドライ・タイプのバッテリーを2個並
列にするれば、電流供給のインピーダンスを半分にできる、3個並
列にすれば3分の1にできる、つまり瞬間的に必要なたくさんの電
流量を流せる、というように文系のわたくしは思ったわけです。そ
してそれは湿式1個と比べりゃあ、圧倒的に違うはずだぞ、と。
 で、ドライ・タイプのバッテリー、まったく同じものを2個買っ
てきました。ちなみにブランドは、そのオデッセイのブースで聴き
比べ用に使われていたものです。あまのじゃくというわけではなく
て、それ自体定評のある、いい製品だと思っているからですね。そ
れに数が出ているということは、値段を下げる要因になるし。
 さあ、これをどこに搭載するか。フッフッフッフ。その話はまた
の機会に(って紙芝居じゃないんだから期待持たせてどうする)。
いや、またいろいろと可能性を考えだしてしまって、もう作業が始
まりやしない。