|
置田恭子の歌を楽しんだ。原宿クロコダイルというライヴハウスでだ。語弊
があるかもしれないがライブハウスらしい、思いとイメージのある、うまい歌
だった。この人は知り合いの奥さんで、たしか5年くらい前に1曲だけクラブ
のイベントか何かで聴いて、「人生の1時期において、死ぬ気で歌っていたこ
とのある人」というように僕はずっと覚えていた。死ぬ気というのは、つまり
命を削っても歌がうまくなりたい、とか悪魔に魂売り渡しても、ほんとに完成
した歌をものにしたいといった、そんな生き方のことである。たとえば、ボク
シングでも、オートバイのレースでも、植物の栽培でも、あるいはもちろん会
社の仕事でもいいけれど、全身全霊をかけて3年とか5年とか打ち込んだもの
がある人は、その時期が何かの理由で終わり何年かたって、一声出したり、ボ
クシングの構えをしてパンチの形をしただけでも、あきらかにシロウトとは違
うものが表現されてくる。それはその時のこころざしとか努力をしていた自分
のかつてと対峙しているように見える。もちろん置田恭子の場合、またライブ
ハウスに帰ってきて歌っているわけだから、それはかつての自分と対峙してい
るというよりもまさに今の自分、年齢なりのものを歌えるボーカリストとして
プレイしているわけで、より生ぐさくもあってでもかつての自分に「なんだい
、そんな歌い方すんの?」と問いかけられながら「あんたには分からないのよ
」と答えるように歌っている感じなんだけれど。おいしくお酒の飲めるライブ
だった。ちなみに、これは最上級の褒め言葉のつもりです。
あるプロダクションの人と別の機会に飲んでいたら、最近はコンサートで生
で歌っていても、音程を補正できる機械があるという話になった。実際は音程
が悪い歌なのにPAのスピーカーからは補正されて聞かせられるというのだ。
打ち込みをやっている人であれば、インプット・クオンタイズの音程版と言え
は分かってもらえると思う。あまりに情けない話だ。ドラムを叩けないドラマ
ーに、マシンをコントロールできないレーシングライダー。バカが音楽を駄目
にしている。子供たちは音楽モドキを音楽だと洗脳されている。裸の王様がい
ても、儲かれば誰も服を着ていないことを言わない国。保守反動の流れがそこ
に妙につけこんでくる。
そんな状況の中で、置田恭子の歌を聴いてひととき救われた。
|